戦略コンサルタントを経て、国内大手企業の経営陣に参画。自分に足りないものを追い求めた先に、いまのポジションがあった。

Vol.24

戦略コンサルタントを経て、国内大手企業の経営陣に参画。

株式会社JVCケンウッド

代表取締役 兼 執行役員副社長 兼 CSO 兼 メディアサービス分野COO 兼 企業戦略統括部長田村 誠一氏

公開日:2015.04.1

インタビュアー 永田

アクセンチュアでの戦略コンサルタントを経て、企業再生支援機構でマネージング・ディレクターとして実績を上げ、現在JVCケンウッドの取締役を務めている田村誠一氏。経営者を志向するコンサルタントの方々にとっては、たいへん参考になるキャリアに違いない。インタビューを通して、田村氏はこれまでのキャリアを紐解いていく。

Message

最初のアサインは基幹システム再構築。そこで事業会社を疑似体験できた。

永田
田村さんは東京大学経済学部を卒業後、1992年に新卒で当時のアンダーセンコンサルティング(現・アクセンチュア)に入社されています。就職先としてコンサルティングファームを選ばれたのは、どのようなお考えからでしたか。
田村
私が就職活動をしていた頃は、バブルの末期で売り手市場でした。優秀な同期の連中は、官僚になったり日銀に就職したり、あるいは都銀や総合商社に進む人間が多かったですね。でも私はそれほど頭が良くなかったものですから(笑)、彼らと同じ土俵に立ってもきっと勝てないだろうと。それで戦略ファームに目を向けたのです。
永田
戦略ファームは当時から学生に人気があったのですか?
田村
いえ、ほとんど注目されていませんでしたね。私もたまたま、サークルの2つ上の先輩がマッキンゼーに勤めていて、彼から大前研一さんの講演に動員されたんです。そこで「こういう世界もあるんだ」という発見があって、調べてみると、戦略ファームという業態があると。日本ではまだあまり知られていませんでしたし、この業界ならあまりライバルもいなそうなので、早目に頭角を現せるのではないかと思ったのです(笑)。
永田
当時のアンダーセンは、新卒で戦略コンサルタントを募集されていたのでしょうか?
田村
実は、日本で戦略グループが立ち上がったのは私が入社した92年で、戦略コンサルタントの募集はなかったんですね。そもそも新卒を採用している戦略ファーム自体がほとんどなくて、そのうちの一社の外資系の老舗ファームのセミナーにとりあえず参加してみたのですが、これが強烈につまらなくて……そのファームが70年代に開発した経営コンセプトなどを滔々と語られて、まったく興味が持てなかった。それで他を当たろうとアンダーセンコンサルティングを訪れてみたところ、「これからは情報技術が戦略を規定する」などと斬新なビジョンを掲げていて、ちょっと惹かれたんですね。その後、選考に進んで最初に内定をもらえましたし、また、近々新たに戦略グループが発足して、入社後に社内でトランスファーできる機会もあるということなので、じゃあ、ここでいいかと決めました。結構いい加減な選択でしたね。
永田
では、田村さんは戦略コンサルタントとしてキャリアをスタートされたわけではなかったのですね。
田村
ええ。アンダーセンに入社してアサインされたのは、大手企業の全社基幹システムの再構築のプロジェクトで、当初はプログラミングから入りました。このプロジェクトはアンダーセン史上最大と言われ、200名を超えるスタッフが参加したのですが、パートナーやマネージャーなど数名を除くと、ほとんどが入社3年目以内の若手だったんです。ですから、入社したばかりの私もいろいろなテーマに深く関わることができた。基幹システムの再構築というのはあらゆる業務領域を見ることになるので、経理・財務や予算管理、人事・総務、生産管理などの業務をてっとり早く理解することができ、それはとても貴重な経験になりましたね。いわば事業会社の業務全般を猛スピードで疑似体験できたという感じ。やはりコンサルティングする上では現場の業務を理解しておくことが大切ですし、純粋な戦略ファームに最初から入社するとそうした経験は得られなかったと思うので、その意味ではアンダーセンを選んで正解でしたね。

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戦略コンサルタントを経て、国内大手企業の経営陣に参画。自分に足りないものを追い求めた先に、いまのポジションがあった。 戦略コンサルタントを経て、国内大手企業の経営陣に参画。自分に足りないものを追い求めた先に、いまのポジションがあった。

コンサルタントが提供できるサービスの幅は、実はあまり広くないと実感。

永田
その後、田村さんはアクセンチュアでどのようなキャリアを積まれたのですか。
田村
3年目に自ら手を挙げて戦略グループに移籍しました。まだ黎明期でしたので、ゼロから戦略コンサルティングサービスを立ち上げていくプロセスそのものに関わることができ、これも有意義でしたね。その後、入社10年を超えたあたりでパートナーに昇格しました。
永田
10年ほどでパートナーのポジションに就かれたというのは、かなりのスピード昇格ですね。
田村
私はコンサルタントとしてキャリアを積むにあたって、特に崇高なビジョンを抱いていたわけではないのですが、やるからには一番になろうという思いは強かったです。同期の中で最初にパートナーになる、というのが私の中では明確なマイルストーンでしたし、事実トップで昇格しました。そのために人一倍努力しましたし、誰よりも熱心に働いた。滅茶苦茶仕事に打ち込みました。月曜朝に出社してから金曜夜に帰宅するまで、合計2時間半しか眠らなかった週もありましたよ。おそらくその頃の同僚だった連中はみな「田村の働き方は異常だった」って言うんじゃないでしょうか(笑)。
永田
そこまで仕事に打ち込まれていたということは、当時は転職などまったくお考えにはならなかったのですか?
田村
いえ、ファームに属するからには当然パートナーを目指すべきだと思っていましたが、でもそれが人生の目標かと言われると、けっしてそうじゃない。実はパートナーになる以前、マネージャーに昇格するあたりから、ファームの外に出ることを意識するようになりました。というのも、戦略コンサルティングは魅力的な仕事ではありましたが、私は新卒でこの世界に入ったので、事業会社でリアルなビジネスを手がけた経験がまったくなかった。このまま30歳過ぎでパートナーになったところで、この程度のキャリアで本当に経営者と対等に話ができるのか?と。だから自ら事業に携わってみたい、という思いは常にありましたね。
永田
事業経営への関心は、その頃からお持ちでらっしゃったのですね。
田村
あともうひとつ、2000年代初頭にITバブルが弾けて景気がいっそう翳り、企業再生ファンドが台頭するにつれて、コンサルティングファームが提供できるサービスの幅は実はあまり広くないのではないかと感じるようになりました。我々が手がけるトップマネジメントへのコンサルティングは超高付加価値で意義のある仕事だと思いますが、戦略というひとつの切り口だけであり、事業経営すべてをカバーできるわけではない。たとえば、経営においてファイナンスは欠かせない要素ですが、当時の我々はその面からアプローチする機会は非常に少なかったですし、バランスシートにメスを入れることも稀でした。しかし事業を営む上ではそこもきわめて重要。コンサルタントの立場では、自らが投資をする、あるいは株主として事業に関わることがないので、そうした知見がなかなか得られない。だから違う世界も経験したいという思いはあったのですが、結局、アクセンチュアで18年過ごすことになって……。
永田
長らくファームをお辞めにならなかったのは、ご自身が望むような機会になかなか巡りあえなかったということですか?
田村
そうですね。確かに魅力的な機会があまりなかったのも事実ですし、あと、ファームというのはよくできたシステムで、頑張っていると2年ぐらいで出世して、新しいチャレンジができるんです(笑)。もともと「やるからにはその分野でトップになりたい」という性分でしたし、そうしたシステムに乗せられて、結局エグゼクティブパートナーにまでなってしまいました。

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企業再生でコンサルタントでは経験できなかった役割を担い、いよいよ事業会社へ。

永田
そして田村さんは2009年にアクセンチュアを退職されて、国が設立した官民ファンドである企業再生支援機構に転職されています。どのような経緯でそちらに移られたのですか。
田村
アクセンチュアを辞めたのはちょうど40歳の時で、パートナー昇進から6年以上たって、そろそろ現状に飽きてきたんですね。それでいよいよファームを離れようと決心しました。その時、私の心にあったのは「国家に貢献できる仕事がしたい」ということ。2009年は政権が交代した年で、官民で日本を変えていこうという気運が高まり、そうした仕事ができるチャンスが生まれていました。加えて、アクセンチュアでは超大手のクライアントばかりでしたので、今後は中堅中小企業の経営にも関わるような仕事に携わり、ファイナンスやバランスシートも意識しながら経営者としての視点を身につけたいという考えもありました。実は、ファームを離れる意思を伝えたとき、転職先は何も決まっていなかったんです。そんな折、アクセンチュア出身の元同僚が企業再生支援機構にいて、その方からお誘いをいただいたんですね。こちらでの仕事は、主に経営に行き詰まった中堅中小企業を対象に、バランスシートをリストラクチャリングしたうえで、キャッシュの重みを日々感じながらターンアラウンドを担っていく。まさに私がやりたいと思っていたことを実現するのにふさわしい場であり、こちらに参画することを決意したのです。
永田
企業再生支援機構ではどのようなキャリアを積まれたのでしょう。
田村
マネージング・ディレクターとしてさまざまな中堅中小企業の事業再生にあたりました。このポジションは自ら投資判断を担いますし、バランスシート改善のために金融機関とも交渉する。また、投資先にもターンアラウンド・マネージャーとして赴き、経営を立て直すところまで関わっていく。アドバイザーではなく、まさに当事者として事業を動かす立場であり、それはコンサルタント時代には経験できないことでしたね。おかげさまで部下にも恵まれ、私が関わった投資案件はすべて成功を収めることができました。
永田
そうした経験を積まれて、JVCケンウッドの取締役に就任されたのですね。
田村
企業再生支援機構には3年ほど在籍しましたが、これぐらいのスパンで投資実行からターンアラウンドまでだいたい一巡するんですね。私としても、自分が望んでいたことは一通り経験できたという感触があって、次はいよいよ事業会社に身を置いてみたいと考えていたところ、ちょうど企業再生支援機構で私の上司だった方から、いまの代表取締役会長兼CEOの河原(春郎氏)を紹介していただいたんですね。そうした縁もあってJVCケンウッドにお世話になることになったのです。
永田
戦略コンサルタント出身者で、起業やベンチャーへの参画ではなく、トラディショナルな日本企業の役員に就いて経営に携わるケースというのは、なかなか珍しいようにお見受けします。続いては、コンサルタントから経営者に転身する上では何が必要なのか、田村さんご自身のお考えを詳しくおうかがいしたいと思います。

※インタビュー内容、企業情報等はすべて取材当時のものです。

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